だから、もどかしい。

日々の「もどかしさ」をカタチに。 ※金曜日更新

外と中

 

 

 

最近よく思うんですよね、

 

 

外の世界に、'こたえ'っないんじゃね

 

 

って。

 

 

 

まぁ、まずこたえってなんだろう

って話から本来ならはじめたいんですけど、

とてつもなく面倒くさそうな気がするので、

 

ここでは

 

 

こたえ=探し求めているもの

 

 

 

ということにしておきましょう。

 

 

 

 

 

 

では本題へ。

 

 

 

 

そのこたえ、探し求めているものって、

外にはなくて、自分の中にあるんだと思うんですよ。

 

でも何となく、

「探し求める」っていう言葉を用いてる時点で、

それはどこか(特に自分ではなく、外部

に存在することを前提としているような気がしますけどね。

 

 

 

こたえって、自分の中にあるのに、

なぜか僕らはそれを外に求めてまうんです。

それで、「どこにもこたえないなぁ」って。

 

 

 

 

 

だから、もどかしい。

 

 

 

 

 

 

ではなぜ僕らは、

こたえが外部にあるように感じるんでしょうか?

 

 

それは、

こたえが外からの刺激によってもたらされるもの

だからです。

 

 

 

こたえってもんは、

自分の中にあるものにもかかわらず、

外からの刺激がないと現れてくれないんですよね。

 

そういう意味で、

こたえは外部にあるものって定義もできるかもしれませんが、

 

それは違う。

あくまでこたえは中にある。

外の世界は刺激を与えてくれるだけ。

 

 

でも、こたえは外を前提としているから、

僕らはこたえというよりも、

外からの刺激を上手に探す努力をした方がより現実的でいいかもしれませんね。

 

自分とだけにらめっこすることは、ありかたでもかきましたけど、

人間上手く出来ないんで。

 

だからこれからは、こたえっていうより刺激を求めて生きてこうかな、と。

 

今日はどんな刺激があるんだろ〜って。

 

 

そんなことを思う、今日この頃でした。