最近よく思うんですよね、
「本当に本当の敵は自分なのか?」
と。
よく、勉強やプロジェクト、スポーツにおいて地位を築き、
それなりの結果を残した人達が
「本当の敵は自分」とか、「自分との戦い」
って話とか、名言チックなものをおっしゃいますよね。
そんなセリフを聞くたびに「俺は意志弱い人間なんだな」って。
そして、「嗚呼、あの人達は凄いな」って比較し、
考え込んでしまいますよね。
だから、もどかしい。
でも、ほんとにそうなんすかね?
「敵は自分」なのでしょうか?
(ここでは敵の範囲の話、量的な関係ではなく、
本質的にその表現の可否について指摘しています。)
多分ですけど、違うと思います。
まず、敵について。
敵とは倒さなければいけない対象のことであると思います。
倒せるかどうかは別の話として、無力化を目指すわけですよね。
という前提に立つと、
自分は倒すべき存在、無力化すべき存在であるということになってしまいませんか?
自分を倒す?えっ、何が残るんでしょうか?何も残らないですよね、
というか残してはダメなのです。倒すべき敵ならばね。
それに自分を自分で倒すってなんやねん、どう判断つけんの…?
なんか変な感じしますよね。
(なんか変な感じっていう言葉好きです笑)
倒すって感覚をなくしたくて。
なんでかっていうと、人それぞれ少しでも、いいところがあるから。
そこも残さないなんて、勿体ないですよね。
というか、誰だっていいところは残したいですよ。
そう考えると自分を敵として倒してしまって本当に良いのでしょうか?
そんなことありませんよね。
ではどう考えていくか、僕的には
「自分は友達」
って感覚で接してるんですよ。
毎日一緒にいる友達って、いくら大好きでもたまには嫌になる時あります。
そんな状態を一時的にであっても敵と呼びませんよね。
友のことは敵とは言わないのに、
自分のことは敵って無条件にラスボスチックに言うのは、
自分に厳しすぎやせんでしょうか?
友達なら
「アキラ、もう少しこうした方がいいよ」
「この前のあの話めっちゃ面白かった」
って、声を掛けますよね。
自分を友達みたいにして語りかけていくと、
プラスにもマイナスにも何となく見えてくるものがあって。
指摘もしやすいし、また肯定もしやすい。
そんな雰囲気、感覚が続きやすい。
そんな関係、
自分という新旧の友人とともに生きることはどうでしょう?
そんなことを思う、今日この頃でした。